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【おいしさの研究②】おいしさとは?風味とは?「おいしさ」を科学します!(嗅覚編)

風味-料理理論の研究



私たちは食べ物を食べると味を感じます。
「おいしい」と感じれば食べ続けるし、
「まずい」と感じれば食べるのを止めます。

そもそも「おいしさ」とは何なのでしょうか。

そんな「おいしさ」と科学的に向き合い、
私たちヒトが「おいしさ」を感じる仕組みから、
味覚とは?うま味とは?コクとは?といったものを、前回の記事で学びました。

この記事で、
ヒトが料理を味わう時に、五感全てを使い、味や香りや食感や熱等を感じ取る事。
「おいしさ」に影響を与える感覚として、味覚に並び嗅覚も大きな影響を与える事。
を学びました。

ですので、今回は、「おいしさ」と嗅覚の関係について調べてみたところ、
実は、「おいしさ」に影響を与える感覚は味覚ではなく嗅覚こそが最も大きな影響を与えているのではないかという考えになるほど、「おいしさ」と嗅覚について述べている本が数多くありました。

1984年にアメリカで出版され、食品と調理に関する科学的知識が網羅されていることから一夜にして大ベストセラーになった「On Food and Cooking:The Science and Lore of the Kitchen」の内容をさらに充実させた2004年改訂版の翻訳書である「マギー キッチンサイエンス 食材から食卓まで」では、

風味とは一部が味でほとんどはにおい。
風味というのは複合的な性質で、腔口内の味蕾からくる感覚と、鼻腔の天蓋にある嗅覚受容体からくる感覚の組み合わせである。これらの感覚は、実際には科学的なものである。食品中に含まれる特定の科学物質によって受容体が刺激されたとき、味やにおいを感じる。基本味には甘味、酸味、塩味、苦味、旨味の五つしかないが、においには何千もの異なった種類がある。リンゴが、ナシでもラディッシュでもなく、リンゴの味がするのは、におい成分のせいである。風邪を引いて鼻が詰まっていたり、指で鼻をつまんだりすると、リンゴとナシの違いがよくわからない。つまり我々が風味として感じるもののほとんどはにおい、芳香なのである。

と述べています。

確かに、前回の記事「「おいしさ」と向き合う!おいしさとは?うま味とは?コクとは?「おいしさ」を化学します!(味覚篇)」でも取り上げましたが、
「視覚と嗅覚を遮断された味覚だけでは半分程度しか飲料の同定ができないことがわかった。」と述べている論文もありました。



そんな嗅覚の重要性に引き込まれながら、さらにネットや本で調べてみると、

「人間の嗅覚は私たちが考えている以上に優れている。」
「においこそが味わいを決めている。」
と、語っている本に出会いました。

それが、イェール大学・医学大学院の神経生物学教授である、ゴードン・М・シェファードさんが書いた、
美味しさの脳科学 においが味わいを決めている」です。

この本の著者のゴードン・М・シェファードさんは、1986年に「ナショナル・ジオグラフィック」誌の記事「奥深い嗅覚」にてインタビューを受け、

生活の主役は視覚だと誰もが思っているけれども、夕食時が近づくにつれて、人生の醍醐味がいかに強く嗅覚と結びついているか、ひしひしと実感するはずだ。嗅覚はあらゆる情動を引き出し、行動パターンを左右する。人生が楽しくなるも、味気なくなるも、滋味豊かになるも、嗅覚次第だ。

と、「世の常識になっている人間の嗅覚は(調香師でもない限り)鈍くて物の役に立たないという見方に一石を投じたかった」という思いで答えました。
このことがきっかけで、「嗅覚の生理の研究一筋にきたくせに、それが自分の夕食の楽しみとどう結びついているか解き明かそうともしなかったのは何と迂闊なことよ」と、思い始めたことが、この本の原点だといっています。



そこで、今回はこの本を参考にし、嗅覚が「おいしさ」に与える影響について、
「おいしさ」の科学的真相についてせまりたいと思います。

河野裕輔
河野裕輔

クンクン!



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「おいしさ」を科学する(嗅覚編)

この本の全てを解説しようとすると、膨大な量になってしまうので、
この本の最後に書かれている、この本の出版プロデューサーの解説を基に、この本の内容にせまり、「おいしさ」を化学していきます。

「美味しさの脳科学 においが味わいを決めている」の解説

序文 新しい風味の化学「ニューロ・ガストロノミー」

一般に、私たちヒトの嗅覚は、他の動物と比べてかなり劣っていると思われています。
たしかに鼻からにおいを吸い込む経路ではその通りなのですが、実はにおい知覚にはもうひとつの経路があります。それが、本書でクローズアップされる、口から鼻に抜ける口中香のにおい経路(レトロネイザル経路)です。

口にした食物の風味は、私たちが普段、たとえばよい香りを嗅ぐ時にするような、鼻から息を吸い込む行為によって知覚されるわけではない。食べ物や飲み物を噛んだり飲み込んだりすると、ふわりと立ち上がるにおい。それが呼気に乗って口の奥から鼻道を遡るから、私たちは風味を感じる。この裏手の経路で運ばれるにおいを「レトロネイザル経路のにおい」という(レトロ=後部、ネイザル=鼻腔で後鼻腔を意味する)。「口中香」とも呼ばれる。これに対して、普通に鼻から嗅ぐにおいは、「オルソネイザル経路のにおい」という(オルソ=前部、つまり前鼻腔だ)。

重要なのは、こちらのにおい経路(レトロネイザル経路)が、「味わい(風味)を決める主役」になっていることです。
あじわいというと、つい口の中から生まれるように思ってしまうのだが、実はそうではありません。
本書で詳しく明かされるように、レトロネイザル経路こそ、脳が味わいを創り出す決め手になっています。

そして、本書では「ニューロ・ガストロノミー」の提唱とともに、味わいの正体を突き止め、さらにはヒトの進化や私たちの生涯に渡る影響まで探っていきます。

ニューロ・ガストロノミーとは、

フード・サイエンスの焦点はこれまで、一言でいえば、食品の成分を風味知覚と関連付けることにあった。しかし、ここへ来て、風味の説明を脳のメカニズムに求ようとする研究もいくつか出始めている。今必要なのは、風味解明の起点を脳に置いて、脳が感覚刺激をどのように受け取るかだけでなく、受け取った感覚刺激から「脳がいかにして能動的に風味の感覚を創り出すか」というところまで明らかにすることだ。…脳がどうやってこれをしてのけるか解明するとなると、新しい風味の化学を打ち立てねばならない。前述の論文『人間の嗅覚は私たちが考えている以上に優れている?』で、人間は自らの嗅覚をたいそう見くびっていると指摘してから二年後の二〇〇六年、私は脳と風味の新解釈につながるありとあらゆる分野の研究を見直した。『ネイチャー』誌の綴じ込み特集「ネイチャー・インサイト」に寄稿するためだったのだが、そこで、それらの研究すべてを風味の研究に集約するための用語が必要になった。その時、ひょいと思い浮かんだのが「ニューロ・ガストロノミー」。この用語はこうして生まれた。「ガストロノミー」は、そもそもは古代ギリシャ人が美味しく正しい食事をして健康的に暮らすことを表現するために造り出した古語なのだが、一九世紀初頭のフランスにおいて料理を科学する用語として一気に広まった。この単語の頭に、脳神経を意味する「ニューロ」をプラスしたわけだ。他の研究分野はまず食物ありきで、食物が五感をどう刺激するのか分析しようとする。片や、脳を中心に据えて、それが食物の感覚をいかに創出するかを解き明かそうというのがニューロ・ガストロノミーである。



第Ⅰ部 鼻とにおい

「第Ⅰ部 鼻とにおい」では、進化からみたヒトの鼻の独自性、レトロネイザル嗅覚の重要さ、風味を生むにおい分子などが語られます。
イヌの鼻との比較、いかに口が味わいを感じているように脳をたぶらかしているか、味わいは嗅覚・味覚・触覚などが溶け合う複雑なかんかくであること、食物そのものに風味があるわけでなく、味わいは脳の創作であることなど、興味深い話題が繰り広げられます。

第2章犬と人間の嗅覚を比べる(レトロネイザル経路に注目)
人間がレトロネイザル嗅覚にどれほど適しているか正しく理解するには、優れた嗅覚の持ち主として誰もが名を挙げる存在と比べてみるのがいい。人間の最良の友、犬である。…比較の最大のポイントは、犬の鼻が主として周囲のにおいを嗅ぎ取るのに適しているのに対し、人間のそれはにおいを風味の主要特徴として感じ取るのに何より適している点にある。だから、犬の鼻はオルソネイザル嗅覚主体、人間の鼻はレトロネイザル嗅覚主体の設計になっている。

第2章犬と人間の嗅覚を比べる(レトロネイザル経路に注目)
嗅覚器につながるレトロネイザル経路の出発点となるのは、口に含んだ食べ物、飲み物だ。私たちは口にした食物を噛む(咀嚼する)時、舌で食物をあちらへ、こちらへと転がす。舌の左右両端を引き寄せて筒状に丸められるのは人間だけといわれており、食物を咀嚼し感知する時に舌で食物を自在に操れるのはこの特別なら能力を備えているかららしい。こうして口中で食物を転がしながら、舌や口蓋、さらにはその奥の咽頭にある味蕾で味を感知する。咀嚼している間も呼吸は続けているので、肺から送り出された呼気は、開いた喉頭蓋を抜けて喉の奥の鼻咽頭に流れ込む。ここで、口蓋や舌背を覆っている食物のにおいや咀嚼されて暖まり湿った食塊から揮発したにおいが呼気に移るのだ。口は閉じているから、においが移った呼気は鼻腔の奥へと押し戻されて鼻孔から吐き出される。その時、鼻腔内で生じる渦流が嗅覚ニューロン、つまり嗅細胞を刺激するわけだ。

第3章 口が脳をたぶらかす
…嗅覚は、実は吸気用のオルソネイザル嗅覚と呼気用のレトロネイザル嗅覚の二つから成る感覚だ。オルソネイザル嗅覚は、鼻から生じる単独の感覚だと誰もが認める嗅覚である。一方、レトロネイザル嗅覚が一個の独立した感覚として認識されることは決してない。常にほかの二つの感覚、味覚・触覚と溶け合って、第三の感覚と言うべき風味を形成するからだ。しかも、鼻ではなく、身体の別の部位、口に投射される。この意味では、レトロネイザル嗅覚は人間のどの感覚とも異なる異色の存在だ。 嗅覚は、実は吸気用のオルソネイザル嗅覚と呼気用のレトロネイザル嗅覚の二つから成る感覚だ。オルソネイザル嗅覚は、鼻から生じる単独の感覚だと誰もが認める嗅覚である。一方、レトロネイザル嗅覚が一個の独立した感覚として認識されることは決してない。常にほかの二つの感覚、味覚・触覚と溶け合って、第三の感覚と言うべき風味を形成するからだ。しかも、鼻ではなく、身体の別の部位、口に投射される。この意味では、レトロネイザル嗅覚は人間のどの感覚とも異なる異色の存在だ。



第Ⅱ部 においを描く

「第Ⅱ部 においを描く」では、著者の専門分野である、においと味わい、脳とのかかわりが解き明かされます。
具体的には、食物のにおい分子→鼻のにおい(嗅覚)受容体→嗅球(糸球体モジュール)→嗅皮質→眼窩前頭皮質という経路です。
このプロセスで注目すべきは、におい分子が脳で空間パターンとして「においのイメージ」に変換される仕組みにあります。

なぜ、非空間的なにおい分子の刺激から、万華鏡のような多彩な空間パターン(においの表象)が生まれるのかーーそれこそ「脳のとっておきの秘密」だと著者は言います。



第Ⅲ部 風味の創出

もうひとつ、においの知覚で、大きな謎は「においの意識的知覚はどこで起こるのか」ということです。
ここからは、新皮質の出番であり、「第Ⅲ部 風味の創出」へと進んでいきます。
まず、嗅覚には他の感覚にはない特権があります。
他の感覚(視覚、聴覚、触覚、味覚)は、新皮質へのゲートとも呼ばれる視床を経て、新皮質に到達するのに、嗅覚だけは脳の最高中枢である前頭前野にダイレクトに入力できるのです。
このことは、嗅覚の重要性を裏付けるとともに、新皮質による処理能力の増強によって、他の動物とは比べようもない豊かな風味(美味しさ)の世界をもたらす源泉ともなってきました。

味わいは、単独ではなく、さまざまな感覚が組み合わさり、相互作用することによってこそ生まれます。
におい、味、口中での質感、触覚、視覚、聴覚、唇・顎、舌などの筋肉ーー別ルートから伝えられた諸感覚が新皮質で味わいとして統合・評価されます。
さながら、総合芸術のようです。

第12章 嗅覚と風味
…嗅覚は他の感覚が持たない特権をいくつか手にしている。
①前頭前野に直接入力できる。
②嗅細胞、増帽細胞、嗅皮質錐体細胞と、わずか3つのニューロンしか介在しない短経路で前頭前野に到達できる。
③嗅覚を知覚する領域が、私たちを人間たらしめている脳の心臓部に位置している。
…これら特権が意味するところは明白だ。私たちが口にするあらゆる物から放出される揮発性分子は、人間の脳の最高中枢で迅速に評価されるに値するほど重要ということである。

第12章 嗅覚と風味
脳が大きいほど、感覚・運動のより精緻な表象が可能になる。精緻化が頂点に達する脳部位は、感覚世界、運動世界、内的世界の精緻化のためにデザインさらた、動物がこれまでに持つに至った最も充実した媒体、新皮質である。普通、新皮質が爆発的に拡大したのは
霊長類と人間の生活において視覚が優位感覚となったためと言われているが、この情報処理機構の拡大は、視覚以外の感覚にも大いに利することになった。嗅覚も例外ではない。本書の主旨はここにある。人間の嗅覚路は、受容体の遺伝子数こそ減らしはしたものの、新皮質を頂点とする脳の処理機構によって、「他の動物よりも豊かなにおいと風味の世界をもたらせるようになった」のだ。

第13章味覚と風味
味刺激は普通、レトロネイザル経路のにおいとともに生じる。だから、においと味は風味の二大基盤とみなされることが多い。この同時刺激を感知できることが重要であるなら、眼窩前頭皮質で味刺激とにおい刺激の両方に応答するニューロンが見つかっているのも当然だ。この二つの感覚はきわめて密接にかかわっていて、時にはにおいが味質を帯びることさえある。第12章でお話しした、あるにおいは甘い味がする、甘い味は青く見えるというような、ある感覚刺激の質を他の感覚として捉える共感覚の一例とみなす向きもある。
これらの味覚野の神経細胞は、味覚だけでなく、テクスチャーと総称される舌触りや歯応え、喉越しなどの力覚や触覚で感じる感覚や温度など、他の感覚にも敏感だ。一次味覚野には味覚のみに応答する神経細胞と、他の感覚モダリティーにも応答する神経細胞が存在するのだ。眼窩前頭皮質が風味のマルチモーダルな、つまり複数の感覚情報が組み合わさった性質の生みの親である証を、これらの神経細胞に見ることができる。



第Ⅳ部 風味が大切なわけ

著者は、人間ならではの味わいを司る仕組みを「ヒト脳風味系」と呼んでいます。
最終パート「第Ⅳ部 風味が大切なわけ」では、このヒトならではの特性が、いかに私たちの暮らしや人生に大きな影響を及ぼしているかを明らかにします。

まず、ヒト脳風味系は、大きく知覚系と行動系とに分けられます。
この最終パートで取り上げられるのは、主に「行動系(情動・記憶・意思決定・可塑性・言語・意識)」であり、好みや喜び、渇望などがかかわってきます。
たとえば、好物の食への渇望は、麻薬などの乱用薬物への嗜癖と同じ脳回路を活性化させるといいます。

また、ファストフードとして人気のフライド・ポテトひとつとっても、実に食欲をそそるような、人工のにおいによる風味付けがしてあります。
ファストフードは風味過剰であるだけではなく、多様な風味の寄せ集めでもあり、それが脳を刺激し、ついつい食べ過ぎてしまうのです。
(カロリー過剰の要因。一方、伝統料理は風味のバランスがとれており、過食にはならない)。

河野裕輔
河野裕輔

フライドポテトというどこにでもある食べ物の味わいを、この著者は2ページにもわたり書かれていて、その純文学たる読み心地でありながら、科学的に進められるフライドポテトを食べるという行為を表している様は、純粋な真面目さを出しつつ、どこか滑稽で引き込まれ、とても面白く必見です!

「ヒト味覚誘導税」も興味深いです。
これは、たとえば甘いものを食べ続けると、甘さ(糖分)の感受性がさらに強まる、ということです。

驚くべきことにこうした風味が私たちに及ぼす影響は、なんと胎児期からすでに始まっています。
(母親と同じ味の好みが生まれたばかりの赤ちゃんにもみられます)。

そして、嗅覚障害がその徴候となる老年期のアルツハイマー病に至るまで、私たちの人生に深くかかわっていきます。

それだけではなく、著者は「においと風味が人類を進化させた」とまで説いています。
たしかに脳の拡大に必要なミエリンの構成要素である脂肪は、ヒトの祖先たちによる食生活の変化によってもたらされたでしょう。
また、火による風味豊かな調理によっても、脳容量の爆発的な増加が進んだという見解もあります。
また、言語発達の一翼も、風味が担っていたのではないか、と著者は推測します。

第18章 知覚系+行動系=ヒト脳風味系
人間には他の動物にはない風味を知覚する脳システムがあることを、ブリア=サヴァランは既に見抜いていた。「美味礼讃」の最初のほうのセクション、「味覚がもたらす喜び」(彼がここで言う「味覚」は、本書で再三指摘しているとおり、「風味の感覚」のことだ)で、雄弁にこう語っている。
味覚は自然が授けてくれたままの形でも、私たちが備えている感覚の中で最も大きな喜びを与えてくれる感覚だ。その理由を、食の喜びという観点からまとめてみよう。
①食の喜びは、度を過ごさない限り、後悔を伴うことがない。
②時代、年齢、身分を問わない。
③少なくとも一日一回は必然的に訪れる喜びであるし、一日のうちに二回、三回と繰り返し訪れても決して煩わしくは思わない。
④他のあらゆる喜びと渾然一体とな?ばかりか、他の喜びを得られない時にはそれに代わる慰めとなってくれる。
⑤食の喜びが生む快感は他の喜びより長く余韻を残すうえに、私たちの意のままになりやすい。
⑥何と言っても、食している間は、名状しがたい何かしら特別な幸福感がある。これは、食べる行為そのものによって身体の消耗を回復し、命をつないでいると本能的に悟るからこそ生じる幸福感である。
さらに、次のセクション、「人間の至上権」には、こんな一文がある。
歩き、泳ぎ、よじ登り、あるいは飛ぶ、あらゆる生き物の中で、最も完璧な味覚を持つのは人間である。
動物の舌の感度はその英知相応でしかあり得ない。
他の動物とは違って、人間だけが完全な喜びを感じられるとする彼の考えは、一九世紀の思想が抱えていた驕りのひとつ、人間はすべての面で動物界の頂点に立つという信念を反映したものだ。しかし、ダーウィン革命から一世紀半の時が流れたこの時代にあっては、それぞれの動物の共通系統もしくは平行系統が共有する一般的な特性と、進化の過程で獲得したニッチに特有の特性によって、動物を評価するのが筋だろう。この視座からすれば、ブリア=サヴァランの主張はこう言い換えるほうがよさそうだ。人間の脳には、人間だからこそ重要な意味を持つ風味を正しく評価するための、特殊な能力があるのだ。実を言えば、ブリア=サヴァラン自身、それをほのめかすようなことも書いている。「味覚の優劣を測る尺度は、味覚が生命体の中枢で引き起こす感覚の性質以外にないのだから、動物が受ける印象が、人間がうけるそれとは比べものにならないのも仕方ないことである」

第19章 嗜好と渇望
…ある風味を欲する動機、つまり、その風味を好み、得ようとする情動を生む脳のかつどとはいかなるものか?…
こうした疑問に答えるために、人間を対象とした研究ではfMRIが活用されている。二〇〇四年、このfMRI研究を他に先駆けて行ったグループのひとつが、フィラデルフィアのペンシルヴァニア大学にあるモネル化学感覚研究所のマーシャル・ペルシャらのグループだ。…
噛み砕いて言えば、お腹が空いている時に好物の絵を見るとこれらの領域の細胞につながっている視覚路が賦活されて、その好物に対する自分ならではの内的「食物イメージ」が形成されるのだ。この「内受容」イメージがら、その食物は好きだという情動と、その食物を手に入れて食べたいという動機を生み出す。まさに、異なる領域と異なるモダリティーに分散している心的イメージ、すなわち、絵に描かれているものの知覚ではなく、情動・動機付けの状態を表象する、「多領域マルチモーダル・イメージ」の一例である。ニューロ・ガストロノミーの観点から言うなら、さて、食事だという時、空腹であればあるほど、知覚する食物の風味の内的「情動的な風味のイメージ」が活発に作用するわけだ。ちなみに、ペルシャらはこれを「欲求のイメージ」と呼んでいる。風味のイメージが風味知覚系のために果たす役割を、欲求のイメージは風味行動系のために果たすのである。

第20章 風味と記憶:プルースト再解釈
多くの人にとって、においと風味の最も重要な要素は、それが呼び覚ます記憶、そして、その記憶にまつわる情動だ。においと風味に記憶をよみがえらせるほどの影響力があることを説明するための助っ人に登場を願うなら、マルセル・プルーストを措いて他にいない。においと風味を記憶と情動につなげる脳のメカニズムを理解すれば、文学史に残るプルーストの名作を新たな視点から読み直すことができる。
…これは彼の代表作『失われた時を求めて』の第一篇「スワン家のほうへ」から引用した一節だ。ハーブ・ティーに浸したマドレーヌの香りがきっかけとなって、幼少期の鮮明な記憶があふれるようによみがえってきた時の様子を、語り手が描写している場面である。主人公であるら語り手が実はプルースト本人であることからら、「プルースト効果」というのが、忘却の彼方にあった記憶が忽然と当時のままによみがえって来る現象を指す決まり文句となっている。

第21章 過食と肥満の原因
こうしたファストフードを食べ過ぎてしまうわけを解明するには、ヒト脳風味系に関する知識が役に立つ。真っ先に挙げるべき原因は感覚過負荷だ。ファストフードは感覚刺激とカロリーの塊である。普通の食事は食物繊維が豊富だから、満腹感が早く得られるうえに、食事しながら水を飲むのでカロリーはさらに少なくなる。ところが、ファストフードは風味過剰な分、なかなか満腹中枢が満足しない。おまけにソフト・ドリンクで流し込むので、余計にカロリーを増やす結果になる。
第二の原因として、ファストフードは多種多様な食物と風味の寄せ集めであることが挙げられる。それが生み出す作用を「スーパーマーケット」効果、「バイキング」効果、「ビュッフェ」効果などという。この考え方は実は、摂食行動に関する研究で伝説の人となった、パリに住む盲目なフランス人科学者ジャック=マニャンに端を発する。一九五〇年代、ラットに与える飼料をいろいろ変えてみるという綿密な研究に手を付けた彼は、ラットに普段の実験動物用飼料を与えている間は体重にほとんど変化がらないのに、さまざまな風味の飼料を与え始めたとたんに急激に肥ら出すという結果を得た。この効果を一九八一年に改めて確認したオックスフォード大学のバーバラ・ロールズらは、これを「感覚特異性飽和」と呼んだ。
…過食のもうひとつの原因は、唇と口腔の皮膚と粘膜にある受容体の長期にわたる過剰刺激にありそうだ。物を食べる時に食物によってこれらの受容体が活性化するのは言うまでもないが、驚いたことに、何も口にしていなくても過活動状態になる場合がある。これは、痩せている被験者と肥満被験者を対象とした大脳皮質体性感覚野(第13章)の脳スキャン結果の比較でも確認されてきる。…ニューヨークにあるブルックヘヴン国立研究所のジーン=ジャック・ワンらが二〇〇二年に行った研究で得られた結果なのだが、肥満者は安静状態でも体性感覚野の唇、舌、口の領域が活発に活動しているのが見て取れる。ワンらは、これについて、唇、舌、口の受容体が食物の報酬価値に対して過感受性の状態にある証で、過食の一因ではないかと考えている。
過食の原因に関する説はいくつかあって、ダナ・スモールらが二〇〇九年にレビューを行なっている。ひとつは、満腹するまで餌を与えたラットでも、条件付けに使ったキューを与えると食べ続ける、という観察結果に基づいた説だ。これを実証した実験についてスモールらが紹介しているところによると、まず、ラットに餌とブザーの音を対提示して学習させる。ちょうどパブロフの犬のような具合だ。このラットにブザーの音を聴かせると、食べ飽きた状態にあっても再び食べ始めるのだそうだ。人間には、ブザーではないけれど、うまい物を食べ続けてしまうキューがたくさんある。ファストフードの例で言えば、バーガーがフライド・ポテトのキューになり、フライド・ポテトがケチャップのキューになり、それがソフト・ドリンクのキューになり ……といった具合だ。この類いの摂食行動は、情動ネットワークのノードである届桃体と摂取中枢である視床下部との連絡によることが分かっている。長年の習慣によって、この連絡が過感受性の状態に陥っているのである。
もうひとつ、前頭前野の抑制回路が利かなくなっている一方で、食べた食物から得られる報酬を仲介する回路の興奮性が高まっているのが過食の原因とする説もある。そこで思い出すのがこれらの回路が薬物乱用にもかかわっていることだ。これも、過食傾向が高次認知レベルと情動レベルの回路の両方と結びついていることを示す証拠である。
さらに、摂食行動自体に十分な報酬価値がないせいで過食に至る可能性も、ひとつの要因として考えねばならない。食べ物の量が少ないと、脳は十分な「喜び」を覚えないのだ。

第24章 言語とのかかわり
してみると、言語はヒト脳風味系のうち、風味行動系(図18-2)の根幹と言ってもよい要素だ。あまたの動物がいる中で、人間だけが風味系を手に入れた理由のひとつが言語である。ジェイムズ・ボズウェルが断言したとおり、調理が人間たらしめている決定的な特徴であるなら、風味は調理がもたらす喜び、そして言語は調理に仕える僕だ。
…先に見たとおり、食物を摂取する場所も、風味にかかわるレトロネイザル経路のにおいが生まれる場所も、発話に用いられること同じ開口部、すなわち口である。つまり、食物と言語は同じ屋根の下に住む間柄というわけなのだが、においと言語が密接に関係している理由は他にもある。ひとつは、進化の面から見て、調理の起こりと言語の起こりとが結びついていること、もうひとつは、風味を表現するために、実は素晴らしい語彙が発達したことだ(ドパルデューのデザート談がその証拠だ)。

昨今、食物の香りと風味を表現する語棄の多さには圧倒されるばかりだ。色ならどんな色でも三原色だけの組み合わせで表現できるように、においと風味もいくつかの「原」臭の組み合わせとして分類できれば便利なのだが、においと風味は複雑過ぎて、そううまくはいかない。専門用語にしても、幾種類もある。有機化学者たちは自ら合成した分子のにおいと風味を表す用語を何千、何万と作り出している。心理物理学者らには、第4章でお話ししたように、質量分析によって分離したにおい成分を示す専用の用語がある。フード·サイエンティストも独自の用語で食物の風味を描写するし、ワイン·テイスターがワインについて語るにも彼らならではの表現を使う。
…知覚したにおいと風味を言葉で表現するのが実に難しい理由は、「それが脳内で任意の不規則な活動パターン、つまり、本書で言う”においのイメージ”として表象される」からではないか。第8章でお話ししたとおり、人の顔のような非幾何学的な視覚イメージは、誰の顔と間違いなく認識できても、言葉にして表すのは難しい。においのイメージも、それと同じで、何のにおいか間違いなく認識できても、いざ表現するとなると言葉がでてこないのではあるまいか。
…百聞は一見にしかず。脳内で描き出されるイメージは抽象画、音楽の和音、におい分子のいずれを表現するものであれ、一〇〇〇の言葉をもってしても語り尽くせないのだ。

第26章 においと風味が人類を進化させた
人類の進化を推し進めた出来事にヒト脳風味系が大きく貢献した可能性を示す根拠をいくつか知っておくのも、今後の役に立つはずだ。ここでは、とりわけ注目に値する根拠を紹介しよう。①遺伝子の記録 ②嗅覚と視覚の競合 ③脳の大きさの拡大 ④食物探索行動への筋骨格系の適応 ⑤火の制御と調理法の発達ーーこの五つである。

第27章 胎児から老年まで
母親が口にた食物の風味は子宮内の羊水を介して胎児に伝わる。しかも、それが出生後の風味の好き嫌いに影響を及ぼす場合もある。これは動物実験、ヒトを対象とした試験のいずれでも証明されている。動物の例については、私の研究室のパトリシア·ペダーセンが教えてくれた。彼女はプリンストン大学のエリオット·ブラスと共同で行った学位論文研究で、ラット母体の羊水に注入したにおい物質が、出生後の幼獣にとって好ましい吸乳のキューとなることを確認したのだ。他の研究者らも、羊水に注入したにおい物質や妊娠中のラット母体に与えた飼料が、離乳後も長期にわたり幼獣の餌の好き嫌いを左右するという結果を得ている。
ヒトを対象とした同様の実験では、母親が摂った食事の風味が羊水と母乳に移り、それが乳幼児の嗜好に影響を及ぼすことが明らかになっている。こちらは、フランスはヌージリーのブノワ·シャール、リュック·マルリエ、ロベール·スーシニャンが二〇〇〇年に報告した研究で、妊娠中にアニス(リコーリスのような香りがする)入りの食事を摂った母親から生まれたばかりの新生児を対象として実験したところ、アニスを摂らなかった母親の子どもよりアニスに対して強い階好を示すと分かった。新生児のアニスに対する好き嫌いを確認する指標としては、第13章で紹介したヤーコプ·シュタイナーが赤ちゃ
んの味の好き嫌いを判断する目安としたのと同じ、顔の表情を採用した。このテーマをさらに掘り下げて研究したのが、フィラデルフィアにあるモネル化学感覚研究所のジュリー·メネラとゲイリー·ボーシャンである。彼女らは二〇一一年の代表的な論文で次のように報告している。「妊娠後期の妊婦を無作為に選出してニンジン·ジュースを飲ませたところ、その妊婦たちを母親とする乳幼児は、ニンジン·ジュースを飲まなかった母親から生まれた乳幼児よりもニンジン風味のシリアルを好んだ….…すなわち、他の哺乳類の例に漏れず、出生前に経験した、母親の食事から羊水に移った食物の風味は、離乳きにおける当該食物に対する受容度と喜びの感情に繋がるということである」。

…母乳もまた、嗜好の仲介役である。ボージャンとメネラは研究の枠を拡げて、授乳中の母親に赤ちゃんが生後三か月になるまでニンジン・ジュースを飲ませた。やがて離乳期を迎えた赤ちゃんたちは、ニンジン・ジュースを喜んで飲んだり子宮内実験と同様の結果が得られたわけだ。
ボーシャンらは、乳幼児にさまざまな風味を覚えさせるのに適した感受性の高い学習期間が存在することも発見した。どのように証明したのか?乳幼児に標準粉ミルクと高タンパクだが風味の乏しい粉ミルクのいずれかを与えた。生後六か月までは、顔の表情から判断するに、後者も嫌がらずに受け入れた。ところが、六か月を過ぎて、離乳食などから学習した特定の味に対して強い嗜好を示し始めると、一転、風味の乏しい粉ミルクを拒否するようになったのだ。
ボーシャンとメネラはこの結果について、「乳幼児は比較的精確な風味のイメージを形成し、後にそれと一致するものに出会うと、積極的に摂取するうえに、喜びの情動も覚える」と結論している。

概して、感覚能力は加齢とともに低下する。なかには老いなど何のそのという恵まれた人もいるが、病知らずであっても自然な老化現象で感覚が鈍くなる人がほとんどだ。それを立証したのが、フィラデルフィアにあるペンシルヴァニア大学嗅覚·味覚センターのリチャード·ドーティだ。彼はにおいスティック検査によって、嘆覚感度は八〇代、九〇代に入ると低下することを明らかにしている。それに輪をかけるのが疾患だ。嘆覚障害がアルツハイマー病の初期徴候であることは、今では十分に証明されているし、パーキンソン病などの他の疾患でも同じことが起こる。つまり、においが風味の主役であることを考えれば、大勢の高齢者や病人が風味を感じなくなるのも当然と言えば当然なのだ。
…最後にFTT(老衰(failure to thrive))治療の要点をまとめよう。小児期の食物渇望を復活させて、強いにおいやはっきりとした味、歯応えのあるテクスチャー、鮮やかな色彩、快い音楽を駆使して、風味に資っするさまざまな感覚を高めること、そして、患者と、一緒に食卓を囲んで楽しい会話に花を咲かせること。それが確かな経験則だ。



「美味しさの脳科学 においが味わいを決めている」の解説のまとめ

最後に、この本の出版プロデューサーは、
こうして、美味しさは人間らしさを促す根源的な要因になるとともに、だからこそ文化にも、悪癖にもなる。
ニューロ・ガストロノミーの領野を超えたさらなる探求を、大いに期待したい所以だ。
と、締めています。



私自身、この本で、人間はどのように味わい・風味を感じ、それをどのように脳で知覚しているのかというのを科学的に知ることができました。
味わい・風味というのは、そこに実態があるようでないものなので、いかにして脳にイメージを描き出すのかというのが、味わい・風味というのを曖昧な存在にしているように思いました。

この本で「おいしさ」の科学的真相を知ることができたように思いますし、
その「おいしさ」の科学的にも不確かさも実感できてしまったように思います。

河野裕輔
河野裕輔

「おいしさ」って深すぎぃっ!



まとめ

前回の記事、今回と、「おいしさ」と向き合い、「おいしさ」を科学的にせまり、
「おいしさ」を味覚という観点からと、嗅覚という観点からとで学び、
「おいしさ」というものの科学的真相にせまりました。

せまりましたといいましたが、実際にはまだまだ不透明な部分があり、
そもそも「おいしさ」とはこうだと、自信を持って言えることは少ないかもしれません。
しかし、この議題に取り組む前と今とでは明らかに理解は違うとは言えます。
今回の「おいしさ」と嗅覚の関係について学んだ本、「美味しさの脳科学 においが味わいを決めている」で、

「おいしさ」とは、人間が脳にイメージを描き出して知覚している。

と学んだことで、やはり、「おいしさ」とは人それぞれで、同じものを食べてもその描き出すイメージが違えば、「おいしさ」も違ってくるので、100人いれば100通りの「おいしさ」があるのだなと思いました。

では、料理人として、食べてもらう人の描き出す「おいしさ」のイメージに対して何ができるのでしょうか。
もちろん、料理がなければそもそも「おいしい」と感じてもらえないことは当たり前ですが、
そのお客さんの描き出す「おいしさ」のイメージにどのようにアプローチできるのかというのも考えて料理を作ると、その料理の奥深さというか、何か感じてもらえることが出てくるように思います。

「おいしさ」と科学的に向き合うことで、何か明確なものが見えてくるのかと思い取り組み始めましたが、
実際には、何か哲学めいたものになってしまいました。
それだけ「おいしさ」とは奥深いもので、であるからこそ、人はその魅力に取り付かれてしまうのかもしれません。



こうして、いずれ開く店への道のりが、また一歩踏み出されたのです。

河野裕輔
河野裕輔

21歩目!


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