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「料理人の自己表現」について考えました。


この「自分の考え」というカテゴリー記事は、
自分が日頃考えている事、悩んでいる事、閃いた事等を、文章にする事で発散し、整理し、自分の考えとしてまとめようという記事となっています。


私は自己表現や自己アピールといった、自分を表現するという事が苦手です。
自分の意見を言ったり自己主張したりという事も苦手です。

小さな頃から苦手でして、小学校の授業で答えを手を挙げて言うという事も、答えが分かっていたとしてもなかなかできませんでした。
小学校や中学の成績は平凡なものでしたが、振り返ると、そのような事で先生への印象は良くはないと思われるので、成績も平凡止まりだったのかなと思います。

ですので、自分を表現するという事や、自己主張するという事は大切なのだと思います。
しかし、それが素直に出来ないのは、恥ずかしいという気持ちや、自信がないという事が挙げられるのかなと、私自身は思います。

授業中に手を挙げるという事は、私にとっては勇気のいる事でしたし、
自分の意見を言うという事は、自分の意見に自信がないと、なかなか発言しようという気持ちになりませんでした。

これをなんとかしなくちゃいけないと思い続けて、いまだになんともできずにいます。
ただ、少しづつ変えていかなければという想いで、このブログやSNS等で発信するという事を始めました。
それでも、このようにネットを介すれば自分の意見を言えるのですが、実際に人と面を向ってというのはまだまだ苦手意識があります。


では、料理人にとっての自己表現とはどう向き合えばいいのでしょうか?

料理人の自己表現というと、料理に自分の想いを込めるとかで、
自己主張というと、どのような食材を使い、どのような料理法で仕立てたという事を伝えるという事でしょうか。

例えば、
「この料理は〇〇という想いで作りました。」
「この食材は〇〇という素晴らしい食材です。」
「この料理は〇〇というこだわった料理法で作りました。」
という事になると思います。
ただこれは、少し履き違えた言い方をしてしまうと、
(どうだ!凄いだろう!)
(どうだ!美味いだろう!)
と、お客様が捉えてしまいかねないように思います。

日本には謙遜とか謙譲という態度が美徳であるという道徳観念があるように思います。
その観念に沿えば、「凄いだろう」「美味しいだろう」と言う事は野暮のように思えます。

実際に、日本料理店の中には、わざわざ食材の産地を言わないというお店もあると聞きますし、お品書きもないお店も多いです。

私の好きな日本料理店を舞台にした漫画「味いちもんめ」に出てくる親方は、カウンターでの客あしらいについて、
「聞かれた事だけ答えればええんや。」
と言っていた事を覚えています。

そして、そのような中でも、ある料理人のインタビューが私の中で猛烈に印象に残っています。
それが京都府京都市にある日本料理店「飯田」の店主の飯田いいだ 真一しんいちさんのインタビューです。

このインタビューで飯田さんはこのような事を語っておられます。

私は、お客さんが見えない所でするのがもてなしだと思っています。こちらの行っていることがわからなくていいんです。そして、伝わらなくていい。お客さんにとって心地良ければ、それでいい。目の前でのパフォーマンスはサービスだと思っています。 さりげないもので、居心地の良さを感じてもらえればそれでいいんです。

この、
「お客さんの見えない所でするのがもてなしで、これは伝わらなくても、お客さんにとって心地良ければ、それでいい。」
これが、日本人の美徳として、日本料理の美徳としての真理のような気がします。

これは、日本料理のルーツでもある茶道にも、その美徳が感じられます。
ひとつ例を挙げるとすれば、夏の時期のお点前に洗い茶巾というものがあります。
これは、水を張った茶碗に茶巾を入れて運び出し、点前の途中で茶巾を絞ってたたみ、茶碗に入った水を建水にあけるという動作をします。
その水をあける音を客に聴かせて涼を感じてもらおうという狙いがあるのです。
ただこれは、客もその狙いを知らなければ、何の意味もなさなくなります。
もちろん亭主は「この音を聞いて涼んで下さいね」なんて事は言いませんし、ただたんたんと洗い茶巾を行います。
私も初めて稽古を受けた時に、そんな狙いがあるのかと感心したと同時に、客側も教養がなければ、亭主のおもてなしの心の全てを受け取れないんだなと思いました。


この日本料理の美徳の真理を感じた時、私は正直怖くなりました。

日本料理のおもてなしの心を受け取るには、客側にも教養や感受性が必要である事。

これは、良く言えば日本料理の価値を高めているとも言えますし、
悪く言えば日本料理の敷居を高くし、踏み入れにくい物にさせてしまっているとも言えると思います。

ただこれにはひとつ解決法があるようにも思いました。

客側の教養や感受性がなくても、日本料理のおもてなしの心を受け取るには、
もてなす側の、料理人側の、人の心に強く迫る何か圧倒的な凄まじさがあれば、
言い方は悪いですが、客側の足らない感受性でも、料理人のおもてなしの心を受け取れるのではないかと思うのです。

この料理人の人の心に強く迫る圧倒的な凄まじさが、飯田さんはもちろん、日本料理の素晴らしい料理人にはあるのではないかと思うのです。
その凄まじさがあるので、見えない所でおもてなしをしても、何を語らなくても、
限られたお客様だけでなく、多くのお客様に伝わるし心地良いのではないかと思うのです。

では、その凄まじさはどこで身に付けられるのでしょうか?

これは、ひとつ私自身が思うには、その料理人自身の情報ではないかと思います。
例えば、その料理人の修行先が有名店であったりとか、何かのコンクールで入賞しただとかの経歴だとか、
あの料理人の料理は素晴らしいという口コミだとか、
そのような料理人の情報が、料理人自身が何を語らずにもその凄みを出しているのではないかと思うのです。

ただこれはそう簡単には身に付けられないと思います。
自分自身で考えても、今35歳という時点で、有名店での修行経験はないですし、何かのコンクールに入賞しようと思うとなかなか険しい道のりだと思います。
今から、日本料理の素晴らしい料理人達と経歴を並べようと思えば、正直、時間という壁があり無理があります。
ただ、可能性は0ではないので、努力はするつもりです。

ですが、私はこうも思いました。

果たして、おもてなしは本当にお客様の見えない所でしかしてはいけないのか?
お客様に伝わるように見える所でおもてなしをしても良いのではないか。
料理人が想いやこだわりを言う事は本当に野暮な事なのか。

冒頭でも書いたように、学校生活では授業で発言する等して自己主張しなければ、先生の印象も良くならず、成績も良くなりません。
日常生活でも、例えば好きな人がいたとして、想いを伝えなければ付き合う事もできないと思います。

だからと言って、私は日本料理の美徳を否定するつもりもありません。
「お客さんの見えない所でするのがもてなしで、これは伝わらなくても、お客さんにとって心地良ければ、それでいい。」
これが言えて、実際にお客様の評価が高ければめちゃくちゃ格好良いと思います。
正直自分もこの境地に至りたいです。

この日本料理の美徳の真理は、仕事という場面にも表れてくると思います。
「私、仕事できます。」と自分で言うのは、格好悪く見えるのです。
そういうのは他人に言われてこそと思うのです。
ただ実際の所、「私、仕事できます。」と言う人の方が出世が早いような気もします。

日本における自己表現は、ある場面では理想と現実に食い違いが生じているように思いました。

これら自己表現の議論の着地点はどこになるのでしょうか。


こんな事を漠然と考えながら、頭の片隅に想いながら何となく日々を過ごしていたら、
たまたま、この事の核心を突いているような事を言っている動画を見ました。

それがYouTubeでカジサックさんがやられているチャンネルでの千原ジュニアさんとの対談の動画です。

【芸人トーク復活SP】千原ジュニアさんが部屋に来てくれました
【神回】千原ジュニアさんが46歳になって辿り着いた真実

一見、自己表現とは何の関係もないと思われるのですが、2人のトークは自己表現についての核心を突いていきます。

2人のトークは千原ジュニアさんがやられているYouTubeのチャンネルの登録者数の伸びが悪いという事に広がっていきます。

千「タレントが遊び場と捉えた場合のYouTubeはええよな。」
カ「ちょっといいですか。すみません。視聴者さんが遊びだと捉えてしまうと、伸びずらくなってしまうというのが僕の思いです。」
千「え!何で?」
カ「めちゃくちゃシビアなんですよ。YouTubeの視聴者さん。チャンネル登録したいのに「遊びでやってんねや。」ってなると一歩踏み出さなくなるのが、YouTubeの視聴者さんなんです。
もしそこで「本気でやってまんねん!YouTubeでなんとかすんで!」って言ったら、たぶん来るんですよ。」
千「はあ、はあ、はあ。(頷く)」
千「バラエティーって真剣やで。真剣やけど「遊びです」っていかに真剣を出さないかやん。「遊んでなんかテキトーにやってますねん。」って、テキトーにやるためにめちゃくちゃ真剣に…ホンマの事言うと。でもそれを言わずにやるのが芸人やん。
でもそれはアカン。古いんねや?」
カ「それもう古いっす!」
千「「俺らフリーでルール作ってバァーってテキトーにやってんねん。」って言うけど、それってこれ言うてもうたら終わりなんやけど、めちゃめちゃ大変やん。
でもそれをいかに楽しくキャッキャ遊んでる風に見せるかを、もう30年やってきたからこっからはもう無理やわ。」
カ「でも正直、それを聞いた人は今ので登録になると思います。そんな想いでやってたんだとか分からないです。」
千「そうか!でも、そう思われたら困るっていうから難しいな。」
カ「難しいとこですね。」
千「ラーメン屋さん構えて、そらもう何十時間煮込んで研究に研究を重ねて食べて下さい!っていうのとちょっと違って、趣味で家でちゃちゃっとラーメンっ作って食べてみてーな!の、
趣味やでとは言いつつも、いついつ家に来るって言うから何日も前から煮込んでっていうのはやってんねんで、やってんねんけど出すときに「3日間煮込んだから」って出さへんやん。」
カ「めっちゃ分かりやすい!」
千「っていうことやろ?でもちゃんとのれん掲げてやれってことか。」
カ「僕がそっち派だったんで。煮込んで煮込んで煮込んでる姿も見てください!って言ってどうぞ!って出してたんで。」

part2の動画でも、2人のトークは自己主張についての核心を突いていきます。

千「すごい分かったわ。なんとなく。」
千「芸人の世代としてもやし。やっぱキングコングぐらいと俺らって、ここってすげー違うって感じすんねん。急に。今第7世代とか言うてるけど、どっちか言うたらキングコング以降がその世代。
これ何かって言ったらやっぱ照れやねん。照れがあるかないかやねん。照れが美談美学としてあった時代やねんまだ俺らは。」
カ「はぁー。なるほど。」
千「西野の絵本見た時も思うたんや。「1枚描くのに60時間かけましたー。」って言うてどうすんねんっていう世代やねん。「なんか寝て起きたらこんなん仕上がってたけどなー。」っていう世代やねん。」
カ「はぁー。はいはい。」
千「照れって結局あんまりええことないもん。」
カ「それをジュニアさん的には治そうと思わないんですか?」
千「だから何でも伝えたほうがいいっていうのも、結局言葉にせんと伝わらへんのやから、どんなけ感謝してても、どんなけ思ってても、って最近なんか思いだした。」
カ「最近⁉(笑)」
千「なにも言わずに食べてるけど1粒も残さずに食べた。これが「美味しいですよ」という表われやんって思ってたけど、それでは伝わらへんのやな。」
カ「なるほど。分かりやすい。」

千「だからこういうYouTubeが新しいコンテンツ、こういうのも照れてたらアカンねんなってのがさっき伝わってん。」
カ「そういうことなんですよ。ジュニアさん。だから照れなくしませんか?」
千「だからホンマに俺も結婚した時に叩かれてん。」
カ「え?」
千「結婚して、番組結構バラエティー一周するやん。で「どう?」とかって聞かれるから「結婚なんてもうするもんやないよ。」みたいな話をしたら、それで炎上したっていうねん。」
カ「確かになぁ。」
千「「結婚した奥さんに対してなんて失礼なんだー。」って言うねん。
いや…好きで、結婚して、愛してるにきまってるやん。それを公共の電波使って言うなんて恥ずかしいから「結婚なんてするもんちゃうでー。」って言うやん?
それが視聴者のみなさんには伝わらへんって、初めて伝わって俺に。照れたらあかんねやって。」
カ「もう多分、ちょっとまえのテレビやったらそれでオッケーやったんすね。今の時代はもうダメですよね。」
千「だからほんまに「結婚してどうですか?」「いや奥さんのことが好きで愛してます。もう、収録早く終えて家帰りたいです。」ぐらいが伝わるって言うねん。」
カ「いやジュニアさんが言うたらボケですよ。」
千「いやそうやろ?」
カ「キャラクターっておもしろいですよ。僕は言えるんですよ。言えるっていうか僕もホンマにそうですし、照れなく言えるんですけど、
ジュニアさんの場合はこれ難しくて、もう無理ですよね、絶対言ったとしてさっきほんまに言いましたけどボケに見えちゃうしというか。」

カ「ジュニアさん世代の方々はちょっと息苦しくなってるかもしれないですね。」

千「いや俺も今日ホンマにもう、なんか思ってることが確信に変わったわ。もう照れはもう誰の幸せにもつながらん。」
千「だからみんながちゃんと上手にシフトチェンジしていってんねんなって。俺はだいぶ遅いなって思う。」
千「照れててもしゃあないっていう。照れより素直に正直にっていう。」
千「今日は本当に勉強になりました。」

この2人のトーク、自己表現や自己主張といったものの核心を突いていると思いませんか?

先程挙げた私の疑問、
果たして、おもてなしは本当にお客様の見えない所でしかしてはいけないのか?
お客様に伝わるように見える所でおもてなしをしても良いのではないか。
料理人が想いやこだわりを言う事は本当に野暮な事なのか。
この答えをドンピシャで導いているように思います。

お客様に伝わるように見える所でおもてなしをしても良い。
料理人は想いやこだわりを言うべき。

決して、
「お客さんの見えない所でするのがもてなしで、これは伝わらなくても、お客さんにとって心地良ければ、それでいい。」
この、日本料理の美徳を否定するつもりはありません。
ただ、時代が過ぎていく中で、この美徳の真逆とも言える自己表現も受け入れられるようになってきたのだと思います。
どちらにしろ、もてなす側のおもてなしの熱量は変わらないと思いますし。

このような精神面での時代の変わりを感じ、少し不思議な気持ちになりました。

私も自己表現を上手にできるようにしていきたいと思います。

コメントはこちらからどうぞ

  1. はっとりん。 より:

    料理人の自己表現、読ませていただきました。
    私は料理人ではないですが、もてなしに関しても料理人それぞれの正解があると思います。

    その方の考え方、個性が出るからこそ店ごとに違いがあっておもしろいのだと思っています。

    かわのさんがどんな考えに行きついて、それをどんな料理・もてなしとして表現していくのか楽しみにしています(╹◡╹)

  2. はっとりんさん。
    Twitterではどうも。

    コメント頂き嬉しいです。
    ありがとうございます!

    「料理人それぞれの正解がある」
    この言葉にハッとさせられました。
    私は何か正解を求め過ぎていたように思いました。
    確かに人それぞれですよね。
    ありがとうございます。

    私はどんな考えに行き着くんでしょう?
    本当考え方がコロコロ変わるので。(笑)
    自分でも想像付かないですが、逆にそれが楽しみでもあります。
    でも、必ずお店や料理として、形に表したいと思いますので、楽しみにしてくれている事を励みにして頑張ります!

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