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2月の歳時記・伝統行事・伝統文化・伝統料理

節分-料理文化の研究


歳時記とは、四季の事物や年中行事等をまとめた書物の事です。

日本古来より行われてきた行事や文化、またそれに伴い食べられてきた料理等、月ごとにまとめて書き記していきます。
それらを参考にし、自分の料理にも取り入れ、自分の料理に歴史的背景や、謂れや、物語等を込め、自分の料理に深みが加えられたらと思います。


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2月の和風月名 如月

2月の和風月名は如月(きさらぎ)。

「如月(じょげつ)」の字は、中国最古の辞書「爾雅(じが)」の「2月を如となす」から由来され、「如となす」とは万物が神意に従うように現れ出る事で、自然が動き出す時期を表す。
(きさらぎ)の読みの由来は、寒く更に衣を重ねて着る事から「衣更着(きさらぎ)」となり、それを当てたとされる。

その他2月の異名
殷春(いんしゅん)、仲春(ちゅうしゅん)、麗月(れいげつ)、恵風(けいふう)、花朝(かちょう)、健卯月(けんうづき)、草木張月(くさきはりづき)、梅見月(うめみづき)、初花月(はつはなつき)、雪消月(ゆききえつき)、小草生月(をぐさおひつき)、木の芽月(このめつき)等。


3日頃 節分

節分とは、各季節(立春・立夏・立秋・立冬)の前の日の事。

古来より、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じるといわれ、中国では大晦日に疫鬼を追い払う儀式「追儺(ついな)」が行われていた。
やがて追儺が日本にも伝わり、宮中行事として執り行われ、やがて立春の前日の節分に行われるようになり、近代、庶民にも広がり定着していった。(追儺は鬼ごっこの起源ともされる。)
ただ、この追儺には豆撒きの儀式は組み込まれておらず、後の時代と共に流入されたと考えられる。
日本では古来より「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰があり、平安時代には散米として米を撒く風習が広くみられ、室町時代には豆を撒くようになる。
豆には鬼の目である「魔目(まめ)」を滅ぼす力「魔滅」があると、言霊信仰により言葉と物に霊力と意味を与えた。

その他、節分の風習として、柊の小枝と焼いた鰯を間口に挿す事で鬼を追い払うとされる風習や、恵方巻きの風習等、様々な風習が地方特有なものとして伝わり、今日に続いている。


4日頃 立春

立春とは、一年を季節や気候等の視点で仕分けた「二十四節気」のひとつで、江戸時代に編纂された暦の解説書「暦便覧」には「春の気立つを以って也」と記されている。

曹洞宗では、「立春大吉」と書いた護符を山門や寺内に張る風習があり、この護符には、全ての文字が左右対称の為、家内に入ってきた鬼が振り返った時にも同じ文字があった為、勘違いして帰ったという伝承から、厄除けの御札とされている。
この言葉は、日本に曹洞宗を伝えた道元が、寺門の繁昌を祈祷して書いたとされる法語「立春大吉文」からとされる。


2月最初の午の日 初午

初午(はつうま)とは、2月最初の午の日で、この日に全国各地の稲荷神社で祭りが行われる。

その昔、和銅4年(711年)の2月の最初の午の日に、稲荷神社の総本山である京都の伏見稲荷大社に、農耕を司る神様が舞い降りたといわれており、この故事から、稲荷神を祀る祭事が行われるようになった。

稲荷神の使いである狐の好物は油揚げで、稲荷神社では、油揚げや、稲荷神のお陰でもたらされた米を油揚げに詰めたいなり寿司を奉納する。


8日 事八日

事八日(ことようか)とは、2月8日と12月8日に行われる行事の総称。
事とは祭事や農事を意味し、正月を中心として、12月8日を「事始め」、2月8日を「事納め」とする所と、農事を中心として、2月8日を「事始め」、12月8日を「事納め」とする所と、地方により異なる。

この日は一つ目の妖怪が来るとされ、それを防ぐ為に魔除けの効果があるとされる目籠を竿先に掛けて軒先に立て、仕事を休み家で静かに過ごす風習がある。
目籠は、その目が多い様子や、籠目模様が六芒星の形に見える事から、魔除けの効果があるとされている。

あるいは、この日は神様が来るとされ、赤飯、餅、団子を供えたり、「お事汁(または六質汁(むしつじる))」と呼ばれる、里芋、大根、人参、牛蒡、蒟蒻、小豆を使った味噌汁を食べ、無病息災と五穀豊穣を願う。

8日 針供養

事八日の行事のひとつとして針供養があり、これは、使えなくなった縫い針を神社に納め供養する儀式で、医薬の神や、婦人病治癒、安産、子授け、裁縫の上達等、女性の守り神とされる淡島神を祀る神社で主に行われる。
古来より中国では、「社日(土地神の祭日)に針線(針と糸や針仕事)を止む」という慣わしがあり、これが日本に伝わった事が起源とされている。
内容として、使えなくなった針を、豆腐や蒟蒻等の柔らかい物に刺して供養し、これを土に埋めたり川や海に流した。


14日 バレンタインデー

セイントバレンタインデー St. Valentine`s Day とは、恋人や家族や友人との愛を祝う日。

起源として、ローマ帝国時代、当時の皇帝クラウディウス・ゴティクスが、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるとの理由で、兵士達の婚姻を禁止していたが、キリスト教司祭のウァレンティヌスは、内緒で兵士達の為に結婚式を行っており、やがてその事が皇帝に伝わり、二度としないようにと命令したが、ウァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかった為、最終的に処刑された。
この処刑日は2月14日があえて選ばれ、この日は古より、家庭と結婚の神であり、全ての神々の女王である女神ユノーの祝日であった。
また、2月15日は豊年を祈願するルペルカーリア祭の始まる日で、当時の若い男女達が紙に名前を書いた札を桶の中に入れ、翌日男達が桶から札を1枚引き、引いた男と札の名の女は、祭りの間パートナーとして一緒にいる事と定められ、そして多くのパートナー達はそのまま結婚した。
ウァレンティヌスはこのルペルカーリア祭生贄にされたという。
やがて、この日はウァレンティヌスの慰霊の日であり、恋人達の日となったというのが一般論ではあるが、史実の上で明らかではなく、歴史的背景により創作された可能性もある。

この日は、多くの国で恋人や家族と愛を祝う日とされているが、女性が男性にチョコレートを贈るという文化は日本独自であり、諸外国では女性に限らず男性も贈り、また贈る物もチョコレートに限らず、花やケーキやカードが贈られる。

チョコレートを贈るという文化の起源は、1936年2月12日、東京で発行されていた英字新聞「ジャパン・アドバタイザー」に、神戸モロゾフ製菓が「あなたのバレンタイン(=愛しい人)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を掲載した事とされているが、諸説あり、また、一般的に広まったのは1970年代前半とみられ、この頃小売業者が積極的にマーケティングを行ったとされている。


15日 涅槃会

涅槃会とは、陰暦2月15日、釈迦の入滅の日に、釈迦の遺徳追慕と報恩の為の法要。3月15日に行われる地域もある。

お供え物として、涅槃団子といわれる青、黄、赤、白、黒(他の色の場合もある)の五色の団子があり、これは五色に輝いていたとされる仏舎利(釈迦の遺骨)を模しており、この団子を撒いたり、お守りとして持ち歩いたり、また、釈迦の臨終に駆け付けた十二支の内の犬や鳥等を模して作られたりと、地域により様々な風習となっている。


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